レゴ社が世界中で愛される人気の玩具会社になった理由 ~歴史を振り返る~

レゴブロック

子供から大人まで幅広い層に人気のレゴブロックを生み出す会社、レゴ社は、オーレ・キアクの手によって1916年に会社が設立されます。もともとは地域の農家向けに家と家具を作っており、玩具とは無縁の業界で活躍する会社でした。
時代の流れとともに、玩具業界で幅広い層に認知されるくらいの大企業までに成長したレゴ社は、10年以上も増収増益を繰り返す時期もあり、大きく進化をしてきました。100年以上の歴史があるレゴ社ですが、一体どのような道を進み、このような大企業と成長できたのか。レゴの歩んだ道や経営者の思考などを勘案して調べていきたいと思います。

レゴ探検
レゴ探検

レゴの歴史について

レゴ社の始まりの時期

ざっくりですがレゴの歴史を年代ごとに抜粋して進めていきたいと思います。

1916年~1958年 創業からレゴブロックの開発へ

ビルンに開いた木工所で、オーレ・キアクは地域の農家向けに家と家具を作って生活してました。2人のまだ幼かった息子達が木の削り屑に火をつけたため、木工所が火事で焼失する災難にあい、さらには世界恐慌(経済恐慌)という世界規模の災難にも悩まされる事態となります。このころから、オーレ・キアクは製作費を削減する為に製品の縮小模型を作り始めました。この模型が、のちに玩具を作るきっかけとなります。

そこから段々と玩具の製造に着手していき、引き回して遊ぶ木製玩具や動物の形をした貯金箱、自動車やトラックの玩具等を作り始め、それなりにうまくいっていたが、当時多くの家庭は大変貧しく、とてもじゃないが玩具を買う余裕がない家庭が大半で、中には食物と引き換えに玩具を買う者もいる状況でした。このような情勢では、収益を得るためには玩具だけでなく実用的な家具も作り続ける必要があり、家具の製造と玩具の製造を平行して行っていました。

1930年に、レゴ社のヨーヨーが流行りましたが、流行はあっという間に過ぎ去りました。しかしこのヨーヨーの未使用部品を玩具のトラックに流用する等、ただでは転ばなかったそうです。息子のゴッドフレッドが参画しはじめたのもこの時期です。

1934年に社名を、デンマーク語で「よく遊べ」を意味するLeg Godtからオーレ・キアクが考えた造語LEGOと変更しました。LEGOにはラテン語で「組み立てる」の意味もあり、プラスチックの使用が広がる時代の流れに合わせ、オーレ・キアクはプラスチック製の玩具を作り始めました。最初の組み立て式玩具のひとつは、部品を組み替えられるプラスチック製のトラックです。

1949年に自動結合ブロック(Automatic Binding Bricks)の発売をしています。この自動結合ブロックの基は、キッディクラフト(Kiddicraft)社が制作したプラスチック製結合ブロックで、イギリス人のハリー・フィッシャー・ページがデザインし特許を取得したものになります。積み木をイメージして開発された相互に結合するプラスチック製ブロックです。ブロックの上部には数個の突起があり、底は長方形の空洞でお互いにくっつくが、外すことができないほどきつくはない作りです。

ここからブロックの名前を「LEGO Bricks(レゴブロック)」と命名し販売に力を入れていきますが、玩具にプラスチックを採用する試みは、当時の消費者や小売り業者には受け入れられませんでした。そのため返品の山ができていたそうです。「玩具素材にプラスチックはない」、「プラスチック製玩具が木製玩具と置き換わることはない」という風潮で批判も多いあったが、オーレ・キアクはスタンスを変えることなく、プラスチックの玩具の製造と販売をやり通します。

1958年にレゴ社は、オーレ・キアクが死去され、息子のゴッドフレッドが会社を引き継ぐ形になります。その後、現在のレゴブロックに類似したデザインの玩具ができ上がります。それはブロックの裏側に改良を加えて空洞部分に円筒を配置したもので、既存のものと比べて底面の結合力の強化により、さまざまな形を作れるようになりました。

ちょうどこの時代の頃が会社としての革新期、レゴブロックが秘める可能性が大きくなってきた時期ですね。

レゴ社の成長過程

レゴ社はどんどん拡大していきます。

1959年に社内に「フーツラ(Futura)」と呼ばれる製品開発部門の設立し、玩具の開発に一層力を入れ始めます。

1960年に倉庫が火事になり木製玩具の在庫が焼失。レゴ社はこれを期に木製玩具の生産中止、木製玩具から撤退する選択を取ります。1960年末までにレゴ社の社員は450人にまで増えています。

1961年~1962年には新しい部品としてタイヤが登場し、トラック、自動車、バスなどの乗り物をレゴブロックで作ることができるようになり、レゴの世界が大きく広がりました。

そして1962年には、埼玉県川口市に拠点を置いていた朝日コーポレーション(当時の朝日通商)が日本で代理店となり、レゴブロックの販売を始めました。

レゴ社の拡大

レゴ大勢
レゴ大勢

1970年には従業員数が900人を超えます。その後の数十年は玩具作りにおいても、市場においても、未開拓分野に大きく進出し、業界のトップに躍り出る形となりました。以下年表ごとにリリースされた製品ラインナップをざっと挙げていきます。

  • 1971年 女の子を対象としたドールハウスを販売
  • 1972年 実際に水に浮かべて遊べるボートと船のセットを販売
  • 1974年 腕が可動する人形を同梱した「ホームメーカー」シリーズを販売
  • 1975年 対象年齢を高く設定し、細かい部品が多くリアルな車やバイクを作ることのできるホビーセットシリーズを販売
  • 1978年 レゴの世界に手足が可動し、顔には笑顔が印刷されているミニフィグ(人形)の追加
  • 1979年 宇宙シリーズを販売
  • 1981年 レゴトレインの第2世代を販売
  • 1983年 デュプロに加えて、さらに対象年齢を下げた幼児向けセット(Primo)を販売
  • 1984年 レゴ・お城シリーズが登場し、ミニフィグに騎士や馬を販売
  • 1989年 レゴ・南海の勇者シリーズとして海賊や海賊船・総督軍との戦い・絶海の孤島や財宝を主題にしたシリーズの販売
  • 1990年 上級者向けの新シリーズとしてモデルチームシリーズを販売

上記を見てもわかるように、レゴ社1970~1990年にかけて毎年新シリーズのリリースを行っていますね。この時代にLEGO社が勢いにのっていたことはよくわかります。1982年にはレゴ社はなんと創業50周年を迎え、これを記念して、「遊びの50年(50 Years of Play)」という本がレゴ社の関係者のみに配布されています。

lego50周年記念の書籍
lego50周年記念の書籍

レゴ社の低迷期

1980年代半ば以降から、レゴ社の業績が不安定になりはじめます。その理由として

  • レゴの基本特許が切れ、類似品が出回ったり、値段の安い物を製造するメーカーの参入
  • テレビゲームの登場により、レゴが占めてた市場が薄くなっていった。

このような状況が続き1990年には業績が大きく落ち込み始めました。状況を打破すべく創業家3代目のケルCEOは、ポール・プローメンをCOOに招きます。プローメンは「脱ブロック」の方向性を示し、多角化を指示し、テレビゲームの開発、教育事業強化、テレビ番組制作、直営店経営、レゴランド事業の拡大と乗り出します。

さらには、従来のレゴブロックとは互換性のない新シリーズを投入します。彼が手掛けたプロジェクトのうち映画「スター・ウォーズ」シリーズはレゴ史上最大のヒットとなり、続いて「ハリー・ポッター」などの人気映画との提携を続けました。

しかし大半は失敗に終わり、さらに互換性のない新シリーズの投入は既存のLEGOファンを怒らせた形になり、ブランドの信頼を落とす結果となりました。

悩めるレゴ
悩めるレゴ

レゴ社の再生期

2004年にケルCEOは入社3年目の若手従業員、35歳の元コンサルタント、ヨアン・ヴィー・クヌッドストープをCEOに抜擢します。クヌッドストープは全社員の3分の1である1,200人の雇用を解雇し、製品も3割削減、直営店の閉鎖、ゲームやテレビ番組制作事業からの撤退、レゴランドを投資ファンドに売却等といった業務縮小の動きをしていきます。

その後、創業者の理念「子どもたちには最高のものを」をもとに、新しい価値観として「最大ではなく最高を目指す」と定め、高級玩具市場をターゲットに絞って高いシェアを獲得することを目指しはじめます。

2006年より製品の企画・開発時にすべての要素を可視化する「イノベーション・マトリクス」を導入しました。このイノベーション・マトリクスとは、ざっくりいうと製品開発の全工程が一覧できるようになり、ノウハウが可視化されて全社員に共有されることになる。その結果新製品の展開に伴う方法や戦術が立てやすくなりました。

このイノベーション・マトリクスが効果を発揮し、ここから再生への道へレゴ社は進む事になります。

業務縮小から立て直しを図り、2013年12月期は売上高営業利益率32%、ROE58%を達成し、2014年上期の業績ではマテル(バービー人形などを制作)を抜き、玩具世界一となりました。

レゴランド模型
レゴランド模型

因みにですが2016年の売り上げ額は、約380億クローネ、従業員数は1万8,200人まで膨れ上がり、売上額は10年前の約5倍、従業員数は4倍強と成長しました。

 

www.lego.com
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レゴ社の歴史を振り返りまとめ

いかがでしたでしょうか。今ではレゴ社は創業100年を超える大企業ですが、調べてみると現在に至るまでの道のりは大変険しい道であったことが伺えます。

レゴ社が玩具業界でトップに躍り出た理由として

  • 当時の玩具素材の主流の木製素材に拘らず、プラスチック素材の可能性を拡げた
  • 時折来る困難をチャンスととらえ、ただでは転ばなかった
  • 優秀な人材の確保
  • 頑なにならず、時代や顧客のニーズに合わせて常に会社の方向性やスタンスを柔軟に変化させていた

と思いました。レゴ社は100年以上も古い歴史がある会社ですから、今後も進化を続けて今以上にレゴのアイデアや魅力を大人から子供までの人達に届けてもらえるような企業であってほしいと願っています。

別の記事で、記事内でよく出てくるレゴデュプロ(えっ!?こんなにも優秀なの?!大人にも人気のレゴデュプロの魅力とは!?)を詳しく解説しています。ぜひこちらも一度お読みください。

えっ!?こんなにも優秀なの?!大人にも人気のレゴデュプロの魅力とは!?